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寒川神社の歴史1600年以上の由緒を持つ相模國一之宮がなぜこれほど信仰されてきたのか?

神奈川県寒川町に鎮座する「寒川神社」。

今では「八方除の神社」として全国から参拝者が訪れ、人生の節目に御祈祷を受ける人も少なくありません。

けれど、寒川神社の魅力は「ご利益がある神社」という一言だけでは語れません。

実は寒川神社には、約1600年以上の歴史があると伝えられています。

古代から朝廷の崇敬を受け、平安時代には相模国の中でも特別な神社として位置づけられ、鎌倉時代以降は源頼朝や武田信玄、徳川家など、時代を代表する武将たちからも篤く信仰されてきました。

では、なぜこの地にこれほど長い信仰の歴史が続いているのでしょうか。

今回は、寒川神社の歴史を古代から現代までたどりながら、「なぜ寒川神社は八方除の神社として知られるようになったのか」を探ってみます。

📌寒川神社の創建年代には諸説があります。本記事では、寒川神社・神奈川県神社庁などが公開している由緒をもとに紹介します。

寒川神社とは?まず知っておきたい基本情報

寒川神社は、神奈川県高座郡寒川町に鎮座する相模國一之宮です。

御祭神は、

寒川比古命(さむかわひこのみこと)

寒川比女命(さむかわひめのみこと)

の二柱。

二柱を合わせて「寒川大明神」と称しています。

寒川神社は、古くから相模国を中心とした関東地方の開拓や、人々の衣食住など生活の基盤に関わる神様として信仰されてきました。

現在は特に、方位・地相・家相などに由来する災いを取り除く「八方除」の守護神として広く知られています。

寒川神社の基本情報

「相模國一之宮・寒川神社。八方除の守護神として、全国から人々が訪れる神社

⛩ 寒川神社(Samukaw Shrine)

神社名 寒川神社
所在地 神奈川県高座郡寒川町宮山3916
社格 相模國一之宮
御祭神 寒川比古命・寒川比女命
御神徳 八方除・方位除など
歴史 約1600年以上と伝えられる
特徴 全国から崇敬者が訪れる八方除の神社

寒川神社は、JR相模線の宮山駅から徒歩約5分。

車では圏央道寒川北ICから約3分とアクセスしやすい場所にあります。

寒川神社の歴史はいつから?

雄略天皇の時代に「奉幣」の記録

寒川神社の正確な創建年は分かっていません。

ただし、寒川神社の由緒によると、雄略天皇の時代(456~479年)に奉幣があったと伝えられています。

さらに『類聚国史』には、神亀4年(727年)に社殿が建立されたという記録が伝わっています。(神奈川県神社庁)

つまり、

「727年に創建された神社」

という単純な話ではありません。

それ以前から、この土地で寒川大明神への信仰が存在していた可能性があるということです。

そのため寒川神社では、少なくとも約1600年の歴史を有する古社とされています。

1600年前といえば、日本ではまだ古墳時代。

そう考えると、現在私たちが訪れている寒川神社が、はるか昔からこの土地に鎮座してきたことに驚かされます。

平安時代、寒川神社はすでに重要な神社だった

寒川神社の歴史を語るうえで、特に重要なのが平安時代です。

公的な記録として確認できるものでは、『続日本後紀』に、仁明天皇の承和13年(846年)、寒川神社に「従五位下」の神階が授けられたことが記されています。

その後も、

854年:従四位下
884年:正四位下
916年:正四位上

と神階が進められました。

そして、927年に編纂された『延喜式』神名帳では、相模国十三社のうち、寒川神社は唯一の「名神大社」に列せられています。

寒川神社が唯一の「名神大社(みょうじんたいしゃ)」と呼ばれるのは、平安時代に作られた法典『延喜式(えんぎしき)』の神名帳において、かつての相模国(現在の神奈川県)にある13の式内社のなかで、最も霊験が著しいとされる「名神大社」に唯一選ばれていたからです

「名神大社」って何?

「名神大社」は、古代の神社制度の中で特に重要視された神社です。

つまり寒川神社は、

「最近になって有名になったパワースポット」ではありません。

1000年以上前の平安時代には、すでに朝廷から重要な神社として認められていたのです。

ここは、寒川神社を知るうえでぜひ覚えておきたいところです。

なぜ「相模國一之宮」なの?

「一之宮」という名前も、寒川神社を知る重要なキーワードです。

奈良・平安時代には、地方へ派遣された国司が、その地域の主要な神社を参拝して平和や安全を祈願したとされています。

その中で最初に参拝する神社が「一之宮」と呼ばれるようになりました。

寒川神社は、古くから相模國一之宮として崇敬を集めてきた神社です。

現在の神奈川県の大部分にあたる地域で、長い間、重要な神社として信仰されてきたことが分かります。

鎌倉時代、源頼朝も寒川神社を信仰

時代が進み、武士の時代になると、寒川神社は武将たちからも厚い信仰を受けるようになります。

源頼朝や北条氏などが社殿造営や社領の寄進を行ったと伝えられています。

武士にとって、戦や領地の安泰は人生を左右する重大な問題。

その時代に寒川神社が信仰されていたことからも、単なる地域の神社ではなく、広く知られた神社だったことがうかがえます。

武田信玄も寒川神社を信仰していた

寒川神社の歴史で、特に興味深い人物が武田信玄です。

寒川神社の公式由緒によると、永禄12年(1569年)、小田原城攻めの際に武田信玄が寒川神社へ立ち寄り、兜を奉納したという伝承があります。

この兜は現在も寒川神社に残されており、神奈川県指定の重要文化財となっています。

戦国武将が、戦の勝利や武運長久を祈願して神社を信仰する。

そう考えると、現在の「人生の節目に八方除の御祈祷を受ける」という文化にも、どこかつながっているように感じますね。

徳川家からも篤く信仰された寒川神社

さらに江戸時代になると、徳川家代々からも社殿の再建や社領の寄進などを受けたとされています。

寒川神社は、江戸(現在の東京)から見て南西の方向に位置しています。

寒川神社の公式説明では、この方角が江戸の裏鬼門にあたることから、古くから関八州の守護神、そして江戸の裏鬼門を守護する神社として崇敬されてきたと説明されています。

ここから、

「寒川神社=方位を守る神様」

という信仰ともつながっていきます。

そして現在の「八方除」へと続いていくのです。

寒川神社と「八方除」の歴史

現在、寒川神社といえば、多くの人が思い浮かべるのが「八方除」ではないでしょうか。

八方除とは、簡単にいえば、東西南北だけでなく、あらゆる方角からの災いを取り除き、福徳開運を願う信仰です。

寒川神社は、古来より八方除の守護神として信仰されてきました。

神奈川県の観光サイトでも、寒川神社を「全国唯一の八方除の守護神」として紹介しています。

引っ越し、家の新築、転居、旅行、人生の節目など、

「この方向で大丈夫だろうか」

「これから先、うまく進んでいけるだろうか」

そんな不安を抱えたときに、寒川神社を訪れる人が多いのも、この八方除の信仰があるからでしょう。

明治時代には「国幣中社」に

明治時代に入ると、神社制度も大きく変わります。

明治4年(1871年)、寒川神社は国幣中社に列せられました。

その後、関東大震災や戦争、戦後の神道制度の大きな変化など、寒川神社も激動の時代をくぐり抜けてきました。

そして戦後は、八方除の御神徳を中心に信仰を広め、現在では全国から参拝者が訪れる神社となっています。

平成に生まれ変わった「神嶽山神苑」

現在の寒川神社を訪れたら、ぜひ知っておきたい場所があります。

それが、御本殿の奥にある神嶽山神苑(かんたけやましんえん)です。

御本殿の奥にある神嶽山は、古くから禁足地とされ、一般の人が足を踏み入れることのできなかった神聖な場所でした。

その神域を、御祈祷を受けた人が訪れることのできる神苑として整備したのが現在の神嶽山神苑です。

平成21年(2009年)に開苑し、庭園の中には古くからいわれのある「難波の小池」もあります。

静かな庭園を歩いていると、ここが1600年もの間、人々から大切にされてきた場所なのだということを、少し身近に感じられます。

📌神嶽山神苑への入苑は、御祈祷を受けた方に限られています。

寒川神社の歴史を知ると、参拝の見方が変わる

寒川神社について調べ始めると、

「八方除で有名な神社」

というイメージだけでは、もったいないことに気づきます。

古代には朝廷から崇敬され、

平安時代には相模国唯一の名神大社となり、

鎌倉時代には源頼朝ら武家から信仰され、

戦国時代には武田信玄が兜を奉納し、

江戸時代には徳川家からも篤い崇敬を受ける。

そして現在も、人生の節目に全国から人が訪れています。

1600年以上という長い時間の中で、時代が変わっても人々がこの場所を大切にしてきた。

それが寒川神社の歴史なのだと思います。

私が寒川神社を「また訪れたい」と思う理由

ここからは、少し私自身の話をさせてください。

私も以前、引っ越しという人生の節目に寒川神社を訪れ、御祈祷を受けました。

その後、退去に関して心配していたことがあったのですが、思いがけず請求がなくなり、

「お参りしておいてよかった」

と感じた経験があります。

もちろん、これはあくまでも私自身の体験です。

御祈祷を受けたからこうなった、と誰かに断言するつもりはありません。

ただ、人生の中で先が見えないときに神社へ行き、静かに手を合わせる。

そして、気持ちを整理して、もう一度前を向く。

それだけでも、人にとって大切な時間になるのではないでしょうか。

だから私は、寒川神社には特別な思いがあります。

これからもお礼参りを続けたいと思っていますし、また秋か冬には、商売繁盛などの御祈祷を受けに訪れたいと思っています。

そして、寒川神社にはもう一つ気になる話がある

それが、

「寒川神社と太陽の道」

です。

春分の日や秋分の日には、太陽が真東から昇り、真西へ沈みます。

寒川神社は、この春分・秋分の太陽の動きと関係する「レイライン(御来光の道)」の上にある神社として、近年注目されています。

神奈川県の公式観光情報でも、寒川神社から日の出・日の入り方向を結ぶライン上に、富士山、元伊勢、出雲大社などが並ぶと紹介されています。

なぜ、寒川神社はこの場所にあるのでしょうか?

そして、

寒川神社・富士山・元伊勢・出雲大社は、なぜ同じ「道」の上に並ぶのでしょうか?

ここから先は、単なる神社の歴史とは少し違う世界が見えてきます。

次回は「寒川神社のレイライン」をたどります

次の記事では、

「寒川神社のレイラインとは?富士山・出雲大社へ続く『御来光の道』を歩く大人旅」

をテーマに、

そもそもレイラインとは何なのか

なぜ春分・秋分なのか

寒川神社と富士山の関係

玉前神社とのつながり

元伊勢とは何か

出雲大社まで続くとされるライン

「偶然」なのか「意味がある」のか

実際に訪れるなら、いつがいいのか

を、できるだけ分かりやすく整理してみたいと思います。

スピリチュアルな話として決めつけるのではなく、歴史や地理、神社の由緒を確認しながら、「なぜこの場所が人を惹きつけるのか」を考えてみます。

(出典:寒川神社・神奈川県神社庁)